書き物遊び。

文を書く練習と、心の整理と。

気持ち良い事と虚しい事の両世界。

私はおそらく性欲が強い。そして、そんな自分を内心恥じている。

だけど三大欲求はなかなか抑えることが難しい強い欲求で、忘れていてもふとした瞬間に頭をもたげてくるものである。

その度にエッチなことばっかり考えている自分を情けなく思い、また自分の事を単なる色欲魔のように感じて、脳内にいるもう一人の自分が『ばっかじゃないの』と私を罵る。皆どうしているんだろう。こういう気持ちが沸き上がることすらないように見える(話を聞く)人たちしか周囲にいないから、なおさら自己肯定感が下がっていく。

それでも燻っているものを何もせずに完全に消すのは難しく(おそらく否定ばっかしてるから尚更消えない)、何とか家族が誰一人いない時間を見つけては自慰行為に耽る。イッた後に訪れる虚しさをひとまずかき消して、またしれっと『母』としての日常に戻る。…この無限ループが、私が自己肯定感が上がらない要因の一つである。

 

 

ただ本当に性欲が強いだけなら、自慰行為でむしろスッキリして心は安定するんじゃないかと思うが、最近はイっても心のもやは晴れず寧ろ深くなる。

特に『自分のいやらしい側面を誰かに見せたい』とか、『誰かのいやらしい面を見たい』という思いに脳が支配されることが多い。

こう書くと単なる露出狂の性癖に聞こえてしまうが、そういうわけではないことは付け加えたい。決して誰でもいいわけではなく、ただいやらしい面だけを見たいわけでもない。(それだけならAVで充分だし、むしろそっちの方が便利)

日常の姿を知っている上で、その人のいやらしい面を知りたいのである。しかもそこに最低限の情がないと、ただただ不快で虚しい。これは一人で行う自慰行為では絶対に手に入らないものだ。

 

昔にもそういう気持ちが強く沸き上がったことを思い出し、私はただ恋したいのかもしれないとも考えた。冷静に考えてみても、まぁ0ではない。が、100そうだと言える純粋な気持ちでもない。

夫も子どもも好きだし、家を捨てるつもりも関係を壊すつもりもないのだ。ただ、どうしても私が満たされるコミュニケーションが取れない以上、寂しさがいつまでも埋まらないことに郷をにやしているだけであって。

趣味で満たしたり、職場や友人関係で満たしたりする精神部分はもちろんあるんだけど、性の部分がどうしても埋まらない。埋まらないから徐々に穴は深くなっていく。

そしてこれを夫に埋めてもらうことが難しい事実を私はこの数十年かけて体感しているから、いずれ深くなる速度が緩やかになると信じて闇の淵でただ眺め続けるしかないのだ。

 

夫には求められない。だけど、他に求めてはいけない。だからいつも一人であることが寂しく虚しい。周囲から見れば結婚し、パートナーとの仲もよい。私自身も夫と仲は良いと思っている。出来ることなら、そういうところも夫と埋めあいたい。

 

でもそれは、足がない人に『私のために走れ』と言ってるようなものであることだと知っているから、未来に希望を持てないのだ。

この感覚は間違いなく、パートナーしか感じられないと思う。周囲がパッと見て外側から分かるものでもないし、正直短期間で分かるものでもない。

ASDのパートナーと長期間向き合っていく中で、いずれぶつかってしまう越えられない壁。数十年かけて心に傷を負いつつここにたどり着いて、私が求めるものを夫は与えられない事実を認め、そして諦めに変わった。

でも虚しさは増す。私はもう好きな人と満足する性的コミュニケーションは取れないのだと。女としての自分が終わったような気がして、悲しくなる。

可能なら、日常を壊すことなくお互いの心の隙間だけを埋められて、自己肯定感を高められる誰かの存在が欲しい…でも、そんな都合の良い関係あるのかな。

あったところで、私はそれを都合の良い距離感で保てるのかな。そう考えると実行に移すことも憚られる。

 

 

 

心が渇き過ぎて、潤いを欲する日々。そして虚しくなると分かっていながら、今日も下着を下ろしてそんな自分を慰めるのである。